ペリー来航(1853)によって開国(1854)を決断した幕府は、軍事力増強と西洋文明導入のため、長崎海軍伝習を開始し(1855)、 本格的な西洋研究機関・蕃書調所( ばんしょしらべしょ)を設立(1856)しましたが、当初、蕃書調所の教官は蘭学者ばかりでした。 蕃書調所で蘭学から英学への転換を最初に実践したのは、安政4年(1857)5月に採用された西周助でした。 のちの明治啓蒙思想家・西周( にし・あまね)です。本企画展では、神田佐野文庫の関係資料により、 蘭学から英学へと転換した幕末洋学の諸相を考察します。