2nd Asian Philosophical Texts Conferenceは、2019年9月10日 、神田外語大学にて開催されました。本学会は、神田外語大学日本研究所とブリュッセル自由大学東アジア研究センターの協定締結後二度目、日本では初の開催でした。日本、ベルギーのみならず、インド、ルーマニアなど各国から研究者が集まり、さらには一般参加者も加わり、日本を中心とするアジアの「哲学」をめぐる白熱した議論が交わされました。
Niladri Das氏は、伝統的なウパニシャッドの哲学体系を踏まえ、”Tranquillity”の観念について報告されました。われわれが日ごろ実体として認めるものが実は虚妄であるとするインドの思索の深みに触れました。
Niladri Das氏(Jadavpur University Kolkata, India)
Alexandra Mustățea氏は、山鹿素行の「士」概念の重層性や背景を翻訳する際にぶつかった問題について触れました。西洋のknightと日本の武士との差異に加え、中国の儒教的価値を多分に含んだ素行の「士」概念を翻訳することの難しさは、見落とされがちな課題と言えます。
Alexandra Mustățea 氏(Toyo University; Temple University Japan Campus, Japan)
本学講師上野太祐氏は、世阿弥の能楽論の稽古の過程にひそむ自己意識の変容について発表されました。自己の揺らぎに焦点を当てた世阿弥能楽論の読み解きは、参加者の関心を惹きつけておりました。
上野太祐氏(神田外語大学アジア言語学科)
Roman Paşca氏は、安藤昌益のテキストにみえる術語の複層的説明をいかに翻訳するか、という観点から、日本思想の翻訳の難しさを具体的に示されました。ある思想家の思想を翻訳しようとする試み自体が、すでに哲学であるという言葉は印象的でした。
Roman Paşca氏(Kyoto University, Japan)
Jordanco Sekulovski氏(Temple University Japan Campus, Japan)は、根源的次元において日本人のふるまいや発想を規定している型について議論されました。日常の奥深くに潜っている型が、実は和辻哲郎の間柄としての倫理に結び付いていくという視角は非常に刺激的でした。
Douglas Atkinson氏(Vrije Universiteit Brussels, Belgium)は私小説をめぐる柄谷行人とその周辺の豊かな議論と近代小説の問題を明らかにしました。哲学研究が文学研究へと接続し、両者が一体で論じられていく大変視野の広い有意義な成果でした。
日本開催ということもあり、多くは日本をめぐる研究でした。しかし、日本の思想のなかにアジア・ヨーロッパ諸地域の思想が深く入り込んでいること、裏返せば、日本の思想がアジア「哲学」への通路たりうることを自覚できた点は、収穫と言えます。ここで報告された成果は、将来的に書籍 Asian Philosophical Texts: Exploring Hidden Sources へとまとめられていく予定です。
Asian Philosophical Texts: Exploring Hidden Sources